旅とグルメと時々猫と。

いまだに人生迷走中のアラフィフシングルが日々の楽しみやお悩み雑感などを書きなぐります⭐️

「天下の義人」に会いにいく

群馬県のご当地カルタ「上毛かるた」に「天下の義人茂左衛門」というのがあります。ざっくりいうと、横暴な藩政に対しての農民の窮状について、将軍への直訴を行い、それゆえに磔獄門となった人。沼田藩月夜野村の人であります。助けられた一帯の農民が地蔵を作りお堂を建てて茂左衛門をしのび称えておまつりして現代まで受け継がれているという。

そのお堂にいつか行ってみたかったのが、今回実現しました😃

利根川のほとりの、小山の上。

てっきりお寺と思っていたけど、お寺のような形をとっているけど正式なお寺ではないのだそうで、住職さんかと思った人も、お守りしている地域の人だったようです😅

でも、お寺のようにお参りできて、縁日には賑わうそうで、地域に愛されたお堂ですネ。

中に、直筆の書というのがありました😲

こんないかにもな書を本人が書いたのか若干疑問には思いますが………我が身を挺して民衆を救った人物、ありがたくて尊敬しますね...。

茂左衛門は、百姓といってももともと武士の家の生まれだとか。当時の藩主は自分を大きく見せたいのと放蕩で、年貢を元の5倍(❗️)にし、期限を守らなかった者を水攻めの刑にしたとのこと💀💧で、直訴といっても将軍にお目見えできるわけはなく、いろいろ工夫して一計を案じ、やんごとない出所の書簡であるかのように偽装して、めぐりめぐって届けられるようにしたのだそうです。磔にされたものの、実際には助命の赦しが出たのだけど、使いが到着するのが間に合わなかったとも。なお、沼田藩主は、(他の理由もあり、ようは良く思われてなかったんでしょうネ)将軍(5代綱吉)の怒りを買い、領地はめしあげられ転地になったとのこと。・・・

そんなのが、簡単な資料館があり、説明されています。お堂は、茂左衛門の子供が興したようでもあります。また、行かなかったけど、近くにその住居跡やら、首塚だの、お墓だの、ゆかりの史跡が点在しているようです。

資料館で会った歴史好き的なおじさんがしたり顔で「そもそも茂左衛門という人間が本当にいたのかも怪しい」「大体当時、一百姓が将軍に直訴なんてできるわけない」なんて説を言ってましたが………エエエっ、こんだけ沢山の人が称えて後世に伝えてるのに、いなかったなんてことはナイでしょう~⁉️😲💧💀と思いました😅💦

まぁね、細かいところには脚色なり憶測なりはあるかもしれませんけどね……。でも興味深い話です。映画とか舞台とかなっても良さそう🌼(終わりが獄門刑で救いがないけれども💧)また1つ、行きたかった所が叶いました❗️p(^_^)q

チラと思ったけど、宝塚で茂左衛門・・・垢抜けなくてダメですかね😣💦💦